横山です!
首尾の松、見に行ってきました。
ナカト君と探訪。
「首尾松」って書いてある石碑があります。
「SHUBI PINE TREE」って書いてある標識もあるんです。
これが首尾の松。逆光で見にくくてすみません。午前中に撮影しないとだめだね。
蔵前橋。黄色い欄干が印象的。
綺麗な花も咲いていました!
起業・会計・税務・相続に関する相談は上野・浅草近くのやまなみ税理士法人へ
横山です!
幸恵さん出演の舞台、また観てきました!
前回泣いちゃったんで、
今回また泣かないかと、
ちょっとトラウマになりながら。
今回はファンタジーでした。
感動しましたが、なんとか泣かずにすみました。
自分、人情ものに特に弱いみたいですね。
そういうの観ると、
ハートに直球撃ち込まれたみたいで、
もうだめです。
事務所内では「キスミー」が得点ダントツで高いんですけど、
自分的には「あいうえお」かな。
感動したら、泣いてもいいんだよね。
♪泣かないことを誓った日々は
無邪気に笑うことも忘れてた
横山です!
前にも書きましたけど、
運動音痴です。
「あんまり自分を卑下しないほうがいいですよ」
って仰ってくださる方もいるんですけど、
本当のことなんで。
才能ない人間が努力だけでどこまでできるか、
試してみたいんです。
トータルで先生と…
「自分、まずスタミナ同年代でトップレベル目指したいんです」
「ほう」
「次にトップレベルの筋力」
「うんうん」
「そして、トップレベルの動ける力」
「いいですねぇ」
「最後に、平均ちょい上の柔軟性」
「横山さん、柔軟性にすごい苦手意識あるでしょ」
「…えっ…まっまぁ…」
「平均ちょい上なんて自分でハードル下げちゃうと、結局それ以下しかできないんですよ」
「…はい」
「目指しましょうよ柔軟性もトップレベル!」
「ウス!がんばります!」
《吃音を考える―①》
(1)吃音とその治療
トヨタ自動車は1937(昭和12)年8月、(株)豊田自動織機製作所(現在の(株)豊田自動織機)から独立して、トヨタ自動車工業(株)を設立したが、それに伴って私の父は転勤となった。4歳のころ社宅に移り住み、そこで友人となった1人に吃音者がいた。そして、その友人と遊んでしゃべっているうちに私が吃音者となった。とくにア行とカ行がうまく言葉に出なかった。10年余り吃音のまま幼年期から少年期を終えた。国語の授業では突然指名された場合にはスラスラ読めるのであったが、順番に当てられると全くダメであった。また私の出生地が愛知県刈谷であったことから、「ア」と「カ」で始まる言葉には苦労した。そのような体験を持つ私が23歳から教壇に立って話すことを一つの職業としたことは、自分自身でも不思議に思う。
このような体験を持つ私が『とんび』の重松清氏の作品と略歴で彼が吃音者であることを知った。吃音に関する話は『とんび』には出てこなかったが、『きよしこ』(2002年11月、新潮文庫2005年刊)と『青い鳥』(2007年7月、新潮文庫2010年刊)の2つの吃音に関する作品があり、それらを読んだ。ここで「吃音」についてその内容と治療をみてみよう。
まず「吃音」とは、『発音障害の一種。発音の際、第1音が容易に出ない、繰り返す、引き伸ばすなど円滑に話せない状態。発語筋肉・横隔膜筋・声帯などの発作的痙攣(けいれん)による。原因は諸説あるが、不安・緊張など心理的要素が強く、男子に多い。』(広辞苑)とされている。一方、医学的にみると『単語全体ではなく、音や音節の反復で特徴づけられる流暢(りゅうちょう)でない発語のことで3~6歳で発症し、男の子より女の子に多くみられます。』(家庭医学大辞典)とあり、ここでは女の子の方が多いとされている。「吃音」の発症は、『発達上の生理的な現象とも考えられますが、内向的、強迫的な子どもに目立ち、親の厳格・過干渉と、それにともなう緊張・不安定感などとのかかわりも指摘され、神経症的な症状ケースもあります。』(同上)とされている。
また吃音の症状は、『大勢でいっしょに朗読するときはスラスラと読みますが、大勢の前で朗読するときは、つかえます。』(同上)とされ、一次性吃音は、『2歳から2歳半くらいを中心に4歳くらいまでに、発生する』(同上)ものをいい、この時期の治療は、『周囲とくに母親が吃音はこころの問題であることを理解し、対応する(環境調整)だけで月単位で改善していきます。吃音症状については、本人に指摘したり、直したりせず、無干渉とします。』(同上)という対応が必要となる。二次性吃音は、『成長とともに自分のことばの非流暢性を意識しだす』(同上)状態をさし、『これについて悩んだり、流暢に話す努力をしたり、吃音になる状況を回避しようという心理負担が加わってきます。』(同上)とされている。この時期は『吃音そのものが心理的負担となり、重症化していきます。』(同上)が、自意識のある子どもや成人の二次性吃音の治療は、『心理的負担がかなり強いため、環境的配慮はもちろんのこと、幼児期についたこころの歪(ゆが)みを修整するとともに、やる気をださせる、こころのなかに希望を育てる、生き生きさせる、自信をもたせるようにします。言語指導法、遊戯療法、メンタルリハーサル法、自律訓練法、行動療法などいろいろな方法が開拓されていますが、改善は年単位になっています。』(同上)と長期間の治療が必要となるようである。ただ『きよしこ』と『青い鳥』で主人公の吃音者がその治療をしたという事柄はあまりでてこない。作者の重松氏はどのような治療法をとられたか知りたいものである。これについては後にふれることにする。
このほか吃音の段階について、『一般的に吃音には、次の五つの段階がある。』(フリー百科事典『ウィキペディア(wikipedia)』)として、次の五つが示されている。
| 第1段階 – 難発。吃音発生時第2段階 – 連発。本人にあまり吃音の自覚のない時期。
第3段階 – 連発。伸発。本人が吃音を気にし始める時期。次第に語頭の音を引き伸ばすようになる。 第4段階 – 難発。吃音を強く自覚するようになる時期。伸発の時間が長くなり、最初の語頭が出にくい難発になる。時に随伴運動が現われる。 第5段階 – 吃音のことが頭から離れず、どもりそうな言葉や場面をできるだけ避けたり、話すこと自体や人付き合いを避けたりする。 なお、『連発 → 伸発 → 難発』へと順番に移行していくものではなく、『難発 → 連発 → 連発+伸発 → 連発+伸発+難発』と新たな要素が加わりながら移行して行くものとされる。 |
また治療法については「花沢研究所の矯正法」として、『以下に、1932年に早稲田大学の心理学教室に早大吃音矯正会を発足させ、「吃音の父」グリーン博士に師事し、国内外の吃音研究に接し、その後、口腔外科医で、千葉大学名誉教授の佐藤伊吉らとの共同研究で、日本で最初に大人の吃音の言語訓練法を考案し、1956年に花沢研究所を設立して、本格的に吃音の言語療法に取り組まれた花沢忠一郎の矯正法(吃音者の間では営利目的ではない、良心的な民間相談機関として知られていた)のエッセンスを掻い摘んで紹介する。これらのゆっくり発声したり、母音を長く発声する練習に加え、近年の会話に先立つ恐怖と不安を取り除く訓練で大人の吃音者の多くは上手く話せるようになるとされる(2006年NYタイムズ。だが、この記事には何%の治癒率か書かれていない)。』(同上)と紹介がされている。
また、この治療法の要点は、次のとおりである(同上)。
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心構え‐人をのむ(少し位のことで動じないほど強く図々しくなる)。 |
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1. 呼吸練習‐胸式呼吸から腹式呼吸(丹田呼吸)に切り替える。 |
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2. ストレッチなどの柔軟体操を行う。 |
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3. 発音・朗読練習‐ゆっくり話す。 |
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4. 息継ぎを忘れない。また、息を吐き、気流を流すことも忘れない。 |
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5. 早口を改める。 |
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6. それらを踏まえた発声練習を欠かさない。 7. カミングアウト(coming-out: 世間には言いにくい自分の立場や秘密を公表す |
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ること(明鏡):横山) |
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8. 研究者は日本以外の最新の研究成果を知る事は大事である。が、当事者 |
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は学者にならなくても必ずしも良い。 |
私は、このうち1、3、4、7、は中学生時代に自分なりの方法でとり入れていた。
(2)吃音と『きよしこ』
『きよしこ』という題名は、吃音の少年「白石きよし」がクリスマスソング「きよし、この夜」を「きよしこ、の夜」と間違えていたことによる。「きよし」は「タ行」と「カ行」のことばがうまく出てこなかったが、この物語は小学一年生から教師になることを目指して大学に進学するまでの物語である。重松氏の体験が基礎となっていると思われることから、ストーリーの内容に吃音者の実情が伝わってくる。この『きよしこ』は、重松氏が吃音の子供を持つ母親から「吃音なんかに負けるな」と息子を励ましてほしい、という手紙を受け取り、その少年への励ましのことばの代わりに書いたものである。
「きよし」は担任の先生の勧めで『おしゃべりサマーセミナー 1971』という吃音矯正プログラムに参加した。そのセミナーでは、『ガリ版刷りのテキストには、ひとの顔を横から見た断面図と、口を正面から見た図がたくさん載っていた。五十音順に、発音するときの口の形や舌の位置、息の通り方が説明してある。その図を見ながら、ゆっくりと、大きな声で、発音の練習を繰り返すのだ。』(65-66頁)という方法が紹介されている。そしてそのテキストには、『息継ぎの箇所に「/」のマークがついた『ジャックと豆の木』も載っていた。息継ぎは深呼吸のように大きく吸い込まなければいけない。音読している間、先生は少年のおなかに手をあてて息が届いているかどうか確かめ、うまくいかないときには「ほら、腹式呼吸!」と軽くおなかを叩く。』(66頁)とされている。この「腹式呼吸」は息継ぎのところで、深く息を吸ってから次のことばを発音することだが、私は中学生になってからこの方法を自分で考えだして実行するようになった。これは理に適ったことだった。重松氏の親は吃音矯正のために何らかの手立てをしたのだろう。
「きよし」は地元のY大(山口大学:横山)の教育学部よりもW大(早稲田大学:横山)の文学部と教育学部を選んで(266頁)、受験するため東京までの新幹線の指定席を購入するところで終っている。本書の末尾には、『少年はおとなになった。学校の先生にはなれなかったが、お話を書く仕事に就いた。『きよしこの夜』の歌詞の正しい意味も知り、悲しい思い出の顔ぶれもすっかり入れ替わった。』(282頁)が、吃音の方は『少しずつうまくしゃべれるようになった。言葉がつっかえても、まあいいじゃないか、と笑ってごまかす図々しさも身につけた。』(同上)ことから、今も吃音が残っているものと思われる。私の場合、子供のころ吃音だったと言っても「冗談でしょう」といわれるようになった。
―吃音であったころを思い出しながら―
平成26年6月20日
横山和夫
横山です!
モングレルって「雑種」っていう意味だそうです。
ヤンジャンで連載してたキックの漫画です。
krush観に行った時のパンフに単行本の広告記事が載ってて、知りました。
買いましたよ単行本!
ヤンジャン、何十年ぶりだろう。
話の内容がとってもリアル。
スポ根ものにありがちな超人的な技とかなくて、
普通の青年が努力しながら這い上がっていくストーリー。
もう感動的!夢中になって読みました。
何回も読んでるんで、セリフ暗記状態です。
画もきれい!
そして何よりも、作者の村瀬先生の優しいお人柄を随所に感じます。
自分も這い上がっていきたい。
横山です!
バックトゥザフューチャーっていう映画を観たことがあります。
1985年に封切りされた映画で、3話あります。
パート1が30年前の1955年に、
パート2が30年後の2015年に、
パート3が100年前の1885年に、
それぞれタイムスリップするっていうお話です。
2015年って、来年だね。
映画の設定では、
2015年は
自動車が空飛んでて、
ポケットを外に出すのが流行り…です。
空飛ぶ自動車はたぶんムリだと思うけど、
流行りはどうなるかな?
いつも資料のやりとりは郵送で年一回、決算の時期に事務所で打合せをするという年一決算スタイルでしたが、年に2~3回お伺いして資料を受取り、こちらでできる作業(領収証貼り)はできるだけ請け負うスタイルに変えることを提案したら想像以上に喜んでいただけて、お伺い時にも御礼を言われました。(お茶&お菓子付)自分ではここまで喜ばれるとは想像していませんでしたので、少し驚きでした。この日、直接お客様と会ってお話をする大切さを実感したと同時に、やりがいも感じることができました。
横山です!
浅草線蔵前駅のA3出口が閉鎖中です。
地上建物の壁落下の危険性があるため当分の間閉鎖すると告知されているんです。
その建物、建て替える話があったようで、
2010年頃にテナントさんが退去して無人になり、
地下鉄の出入口だけは開いていたものの、
ついに2014年2月からそれも閉鎖されてしまったというわけです。
建物は「蔵前会館」という名前だったようです。
おそらく浅草線部分開業時(1960年)に竣工したと思われる蔵前会館、
建て替えプロジェクトが何らかの理由で中断しているのでしょう。
それも「当分の間 」ということは「工事がいつ始まるかわからない」という状況で。
江戸通りと国際通りの分岐点にあり、地下鉄の駅の真上にあるという好立地にありながら
無人のまま放置されている姿を見るのは忍びない。
おまけに「壁落下」なんてとっても危ないし。
早く工事が始まって新生蔵前会館ができるといいなと願っている横山でした。
横山です!
2014年5月13日の通院をもって、とりあえず治療は終わりました。
みなさん大変ご心配をおかけしました。
最初の通院が2014年2月20日、
最後に局所免疫療法を行ったのが2014年4月17日ですから、
2ヶ月ほどで治ったことになります。
これは円形脱毛症の治療としてはかなり短期間で、
薬がすぐに効いてくれた自分はかなり恵まれていたと思います。
写真で記録を残してあったんで、ご披露します。
見苦しい写真ですみません。
まず2013年12月28日。
散髪で「あ…きてる」と思った時の写真です。
周囲の証言によると、秋頃から抜け始めていたようです。
後頭部は自分ではなかなか気がつかないですね。
次に2014年2月16日。
この写真、実は「よくなってきたかな」と思って撮ってもらったんですが、
よくなるどころか明らかに拡がってますよね。
通院を決意したのはこの時です。
最後に2014年5月18日。
ほとんどわからなくなりました。
お医者さんに、また抜けたら来るように言われました。
そう、生えてくるのは速かったですが、抜けるのもあっという間なんです。
円形脱毛症は頻発する病気なので、もう絶対に罹らないとは言えないんです。
こんど罹ったら、すぐに通院しようと思います。
横山です!
明治時代の事務所周辺を調べてみました。
「東京市淺草區淺草南元町」という地名です!
「御蔵」の堀はこの頃はまだ8本とも残っています。
事務所の近くにあった「二番堀」周辺は
「電燈會社」になっていました。
「八番堀」の辺りは「東京工業學校」
今の蔵前工業高校の前身でしょうか。
「三番堀」から「六番堀」にかけては
「大藏省米庫」「厩橋税務署」になっています。
浅草税務署の前身か…と一瞬思いましたが、
今の税務署の場所とはちょっと違うようです。
江戸通りには路面電車が走っています!
今の都バスとほぼ同じルートを走っていたようです。
事務所の近くに停留所があったようです。
横山です!
この間の「首尾の松」
かなり有名な木だったみたいで、
浮世絵にも結構描かれているんです。
観光名所なんです。
ただ、「御門」があって厳重な警備があったであろう幕府の土地に
その松の木を見るために庶民が自由に入れたんだろうか…という疑問が残ります。
それとも、隅田川の舟から眺める名所だったのかな。
おそらく後者でしょうねぇ。
この「首尾の松」があった「四番堀」と「五番堀」の辺りは
今は蔵前橋通りが横切っているのですが、
蔵前橋通り沿いに、
今でも「首尾の松」があるんです!
石碑とともに植えられている松の木のうち
一番大きいのが「首尾の松」です。
今の「首尾の松」は七代目だそうです。
蔵前橋通りをはさんだ「首尾の松」の反対側に
「浅草御蔵跡」の石碑もあるみたいです。
こんど写真撮ってきてアップしますね。
横山です!
江戸時代(文久年間)の蔵前を調べてみました。
「浅草御蔵」という江戸幕府の米倉がありました。
「蔵前」と名乗る地名の所以ですね。
この「御蔵」かなり広い!
今のJFEさんの南西から蔵前工業高校の辺りまで広がってました。
歩くとかなりあるよ。
「御蔵」には櫛形に切れ込んだ船着き場が8本あって、
北から「一番堀」「二番堀」と続き「八番堀」まである。
「四番堀」と「五番堀」の間には「首尾の松」という松の木がありました。
「御蔵」に入る門は3つあって、
北から「上ノ御門」「中ノ御門」「下ノ御門」の順です。
「御蔵」には何十棟もの蔵が建ち並ぶほか、
奉行や手代のご役宅もありました。
今の江戸通りに相当する道はありましたが、
国際通りや蔵前橋通りはまだありません。
新堀通りは、その名の通り、真ん中に水路がある道でした。
事務所がある場所は、当時でいうと、
「二番堀」と「上ノ御門」の近くにあったと思われます。
コインパーキングと100円の自販機がある道が
「上ノ御門」に続く道だったのではないかと推測しています。
「首尾の松」についてはまたこんど。
横山です!
古地図が好きです。
買いに行ったときに店員さんがいろいろと教えてくれました。
「江戸時代の地図は安政年間を買うといいよ」
「へぇどうしてですか」
「いちばん正確なんだよ」
幕末ぎりぎりの慶応年間ではなくてちょっと前の安政年間が正確なのはおもしろいなと思いました。
「あと買うといいのはねぇ大正10年と昭和10年」
「それは…?」
「震災前と戦前」
「へぇ…」
「あとは昭和38年」
「昭和38年…?」
「古い地名が全部残っている最後の年だからね」
自分が生まれる直前ですね…ほかにもいろいろ訊いてみました。
「古い地図って、全部お持ちなんですか?」
「いやこれは持ってる方から借りるの」
「借りるんですか」
「そう。お金払わなきゃなんないんだよ」
いゃ~いい勉強になりました。
古地図で見た蔵前についてはまたこんど。
横山です!
子供の頃、「金町」を「キンチョー」って読んでました。
まさに日本の夏です。
そんな「カナマチ」ですが、
駅前のステーキ屋さん、
飯の量がはんぱないんです!
大盛、特盛のさらに上をいく
「チョモランマ」ってのがあるんです。
大食いの横山もさすがにビビって
「あの…チョモランマってどのぐらいの量なんですか」
って訊きました。
すると、スレンダーな女性店員さん、
「私でもぺろっと食べられちゃうぐらいの量ですよ~」
って答えてくれました。
おそるおそる注文して、
運ばれてきましたよそびえ立つライスのチョモランマが。
…本当に自分でもぺろっと食べられちゃいました!
それにしても、店員さん、すごいな。
チョモランマ食べてあの体型維持とは。
ライスのチョモランマは美容の秘訣かもしれないと思った横山でした。
横山です!
バンゲとトータルで大変お世話になっている
藤原あらし先生。
蹴拳18のムエタイの試合勝ちました!
3分5Rの試合でタイの若い選手に勝ちました。
ルンピニースタジアムのランキング入りです。
次はチャンピオンに挑戦なんです!
試合後のマイク、めちゃくちゃかっこよかった。
「オレさぁ今年36なんだけど30過ぎたら引退ってヤツに言いたいよねお前ら簡単に夢をあきらめんなよって」
…感動しました。
また泣いちゃった…。
50になっても簡単に夢をあきらめたりしないぞって自分に誓った横山でした。
横山です!
都の湯のお客さんは年齢層が若い。
この間もあの空間で自分がダントツで最年長でした(たぶん)
スーツで来てるの自分だけだし。
それはさておき。
都の湯の整体で、
前と違う整体師さんに
「歩くの多い仕事なんですか?」
って訊かれました。
ふくらはぎがパンパンに張ってるそうです。
そういえばデスクワークって訊かれなくなったな…
最近ガテンな横山でした~
横山です!
ブルーハーツの
甲本ヒロトさん、
自分が似ている(と信じている)のは
初期の短髪だった頃のお姿。
最近はアンガールズ山根さんに似てきたかも。
アンガールズ…
そう、
ここでも横山との共通項が
見出だせるではありませんか!
横山は二十歳の頃、
アンガールズ山根さんにそっくりでした。
体重54㎏でしたし。
あばら骨浮き出てました。
甲本ヒロトさんもあばら骨浮き出てますよね。
それにしても、
同じ年代であばら骨浮き出ている人ほとんどいないですよね。
多くのアーティストは太ってきてますし。
何十年も変わらぬ体型を維持している甲本ヒロトさんは偉大だと思いました。
製造業を営むH社のY様から事務所にお電話を頂いた際のこと、よくお電話を頂くので声を聞いただけでH社のY様からだと分かりました。
私が、「あっ、H社のY様ですね。おはようございます。いつもお世話になっております。有難う御座います。」と申し上げました。
すると、H社のY様が嬉しそうに「左様で御座います。名前を覚えて頂き、大変光栄です。有難う御座います。」とおっしゃられました。
こうした当たり前のことを1つ1つしっかりと行うことで、お客様に喜んで頂くことができ、少しずつ信頼関係を築き上げることができるのだなということを実感致しました。
今後も、基本的な業務を疎かにすることなく取り組み、お客様に喜んで頂けるよう努力して参りたいと思います。